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みぢかを機能で考える

ISIDエンジニアリング・機能エンジニアが機能で考える開発について紹介します。

掃除機の機能と性能

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掃除機というと、電気掃除機のことを普通は指していると思いますが、これが登場したのはかれこれ100年もの前のようです。

代表的な掃除用具にホウキがありますが、ごみを移動させるだけなので、外へそのまま掃き出すか、ゴミ箱に捨てるために、ごみを集めてチリトリですくい取り、まとめます。 だから、電気掃除機ってごみをかき集めて、すくい取り、まとめる役割をもったものといえるでしょう。

私流に機能で考えて物理特性で表現すると。。。

 

「何らかのエネルギーによりゴミを所定場所に移動させる」

 

電気掃除機なら

「電気エネルギーによりゴミを所定場所に移動させる」

 

さらに、一般的に身近にあるのは、モーターを利用したバキューム式なので、

「電気エネルギーをモーターにより回転運動エネルギーに変換し、ファンにより回転運動を空気の流れの運動エネルギーに変換し、その運動エネルギーでごみを動かし、所定場所に移動させる」

 

といったところでしょうか。

 

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この定義に「静かに運転する」とか「排気をきれいに保つ」「室内で持ち運びやすい」といった表現はでてきません。

ましてや「自動的に部屋を動く」も…。

私はこれらもユーザーにとっては重要な指標だと思っていますし、なんら否定するわけではありません。自分が先日掃除機を買い替えたときは、家電量販店で実際に動かして静かなものを選びました(笑)。

 

しかし、このブログの初回に申し上げた「機能で考える」意味をここで今一度考えておきたいと思います。

 

モノやシステムのそもそもの役割に注目する。それを物理特性で表現し「機能」と定義する。

そして「性能」とは、さまざまな機能が所定の条件、所定の場面で果たしたその結果。

 

と考えています。

モノやシステムの機能を果たしても条件によっては思うような結果がでないこともありますよね。

 

100Km/hで走行している車が急ブレーキをかけて、どれぐらいで停止できるか、その「制動距離」という「性能」はブレーキだけでは決まりませんね。ブレーキペダルの操作性、車の重量、タイヤ、路面状況…。

 

そういう指標では私はモノやシステムの出来栄え、どれぐらい機能を果たしているのかを正しく評価できないのではないかと思っているのです。

 

一方、機能がどれぐらい発揮できているかを定量的な水準で評価することは大事なことだと考えています。

初回のブログでブレーキの機能を次のように定義してみました。

 

「運動エネルギーを減少させるために、回転運動エネルギーを摩擦力で熱エネルギーに変換する」

 

この場合、定量的な機能水準とは「運動エネルギー→熱エネルギーへの変換効率」かもしれません。いい言葉がみつかりませんが。

 

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「性能」ではなく、「機能」によりモノやシステムのあるべき姿をシンプルに考える。 そして「機能」の理想を実現するためにはどうするかを考える。それこそが技術革新のスタートではないかと考えています。

 

電気掃除機の機能水準を考えると、いかに「効率よく」空気の流れを発生し、「多くの」ごみをその流れに乗せ、「もれなく」所定場所までに移動させる…「効率よく」「多くの」「もれなく」の水準を高くすることが掃除機の目指すべきことではないか…私は考えています。

もちろん、同じ機能なら静かでコンパクトの方がよいと思いますが、「静か」「コンパクト」ということはこれらの掃除機の本来の機能とは別のものだと思っています。

 

私が考える「機能」の意味について今回はお話をさせて頂きました。

 

 

サーフィンシーズン到来

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5月に入り気温の上昇と共に海水温も上昇し、サーフィンにふさわしい季節がやってきました。

私は、かれこれ数十年サーフィンを楽しんでいますが、齢を重ねるごとに、かつてのようにどんな波でも乗れなくなりました。

 

体力が落ちたからしょうがないと思っていたのですが、友人から少し短めのボードを使ったら?といわれ使ってみると意外といい!

  

サーフィンっていうと要は波乗りですが、私は波に乗るまでが難しいと思っています。 乗ってしまえば簡単というわけではなく、そこに一つのハードルがあるということです。

そこで、波に乗るまでの、漕いで(パドル)、ボードの上に立ち上がる(テイクオフ)について考えてみたいと思います。

(カヌー等に用いる櫂だけでなく、サーフボードに腹ばいになり手で水をかいて進むこともパドルといいます。テイクオフは飛行機の離陸もテイクオフですが、同じイメージですね)

 

 

では波に乗るとはどういうことなのでしょうか?

 

必要条件として

「サーフボードのスピード > 波のスピード」

 

こうならないと波には乗れませんね。

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では、波のスピードは何で決まってくるのでしょうか?

海岸に押し寄せる波は、風や、その他気象条件により海水に力が加わり、それが伝わることによって発生すると考えられています。

 

調べてみると、海岸から離れた水深があるところと、海岸近くで水深が浅いところでは波の挙動はちがうようです。

前者を深水波といい、波がやってくる速度は一般的な定義がほぼ適用でき、速度=波の波長/波の周期。

後者は浅水波といい、波の挙動は底面の影響を受けるようになり、水深をdとすると、波の速度は√dに比例します。

 

海岸から離れると波の速さは、大きな波であればあるほど速くなるのですね。なんとなく実感はありましたが、こうやって改めて考えると、なるほどと思ってしまいます。

 

ということは...

体力がおちてパドルスピードが落ちる=サーフボードのスピードが落ちる、それで大きな波に乗れなくなってきたといえそうです。

 

ただし、それだけではなく、大きい波ほど波のフェイスに斜度があり、それを登るにはパドル力が必要になります。それも要因かもしれません。

 

短めのボードを使ったら、意外とよかったのは…

短いボードのほうがパドルの初速が上がるから?いや、これはいろいろな要因がありそうです。

長いほうが最高速度はでると言われていますし、形状や浮力によって水との抵抗が変わってくることが影響しているかもしれません。

  

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このブログではモノやシステムの機能を考え、その機能を物理の原理原則で表現してみるというアプローチを紹介しています。

今回、サーフボードの機能を考えるというより、そもそも波に乗るってどういうことか、それを物理特性で少しだけ考えてみました。

近々サーフボードの機能について考えてみたいと思います。

 

サーフィンに限らず、どんなスポーツでも「人の能力に寄り添う機能」を最大にする道具が求められているのかもしれませんね。

 

体調を整えるために・・・・ 自律神経の機能とは

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いよいよ春から初夏に向かって、気持ちのいい天気の日が増えてきました。しかし季節の変わり目には体調を崩す人が増えます。また、現代人としてはストレスへの対応も何かと課題です。

 

ということで、今回は「体調を整える」ために、これを司っているといわれている「自律神経の機能」を考えてみましょう。

 

 

まずは基礎知識から。自律神経って何でしょうか?

 

人の体には、自分の意思で動かせるものとそうでないものがあります。手足や顔の表情などは自分の意思で動かして変えられますが、心臓や胃腸は勝手に動きますね。この「勝手に動く = 自律している」ものコントロールしているのが「自律神経」です。

 

 

機械の「制御系」と同じような働きをしている、とも言えますね。・・・どちらかというと、機械の方が人間をまねして作られたのかも知れませんが。

こうした「制御系」の機能を考えるのは実は難しくて、制御系自体を考える前に「制御されるもの」すなわち制御対象の機能を考えなければなりません。

 

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本題に入る前に、もう一つ、前置きをしなければなりません。

普通は「機能で考える対象」は人工物であることが多いですが、今回は自然のものということになります。それを「神が作った」ととらえる人もいれば、進化の結果ととらえる人もいるでしょう。

いずれにしても、人が作ったものではないので「そもそもの目的」とか「何のために存在しているのか」を考えるのは難しいということです。ですからここでは「結果としてどのような機能が備わっているか」を考えることにしましょう。

 

 

では、制御される対象である「人の体」の機能を考えます。

そもそもの目的は考えないので、どうしても抽象的で限定的な機能とせざるを得ません。ここでは、「成人が恒常性をもって自分自身を維持する」ということを目的として、機能を考えてみましょう。

すなわち「成長する」という働きや「生殖する」という働きは一旦無視して、そのまま健康的に維持することだけを考えましょうということです。

 

 

人間の活動自体には、自分の意思で動くというものもあり、これは自律神経の働きではありません。自律神経が関わる機能として「活動しやすい状態を作る」ということと、「活動した後の体の維持(補修)をしやすい(すなわち、休養しやすい)状態を作る」ということがあります。

これら2つの働きを同時に効率よく実施すること(すなわち、活動しながら休養すること)はできないので、「あるときには活動的」となり「あるときには休養的」にしたい、それらをうまく制御するのが自律神経の機能ということになります。

 

 

前者を担っているのが「交感神経」、後者を担っているのが「副交感神経」という名前で呼ばれているものです。車でいうと「アクセル」と「ブレーキ」のイメージですね。

目的と手段のツリーでまとめると以下のようになります。

 

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朝起きると、交感神経が優位になり、活動的になる。夜遅くなると、副交感神経が優位になり、眠くなって体を休める。 

もうすこし専門的な話をすると、これらの神経を陰で操っているのが「ホルモン」の一種で、例えば興奮すると「アドレナリン」というホルモンがでて、交感神経がさらに優位になりますし、落ち着いているときには「セロトニンというホルモンが副交感神経を高めて休養を助けています。

 

 

季節の変わり目やストレス、あるいは夜更かしなどによって、これらの自律神経のバランスが崩れると、体の状態を適切に制御できなくなるということですね。

以前、サッカーでお話したようにここでも機能の配分が重要になりますね。

特に交感神経が高ぶることが、体調を崩す原因となることが多いといわれています。体を温めたり、深呼吸をしたり、睡眠をしっかりとって副交感神経が優位な時間を増やし、体調キープを心がけたいですね。

 

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今回は人の体について取り上げて考えてみました。

人の体は複雑で、さまざまな機能で成り立っていると思いますが、前提を置いて取り上げる範囲を絞り、表現を抽象化することで、重要な機能について考え、整理することができます。 

このことは他の対象でもいえることだと思います。

 

では、今日はこのくらいで…また体の話は機会をみて取り上げていきたいと思います。

 

 

 

読まない本に価値はあるか?-「存在する」という機能を考える

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先日、「本の機能」についてお話をしました。

 

紙の本には「脳内を耕す」機能がたくさんある。

一方、本を買う理由として「所有欲」がありそうで、紙の本には記録媒体として「脳内を耕す」こと以外の機能があるのではないか?

 

という話でした。

今回は

「所有欲」を満たすために紙の本は存在しているのではないか?

を深堀りしてみたいと思います。

 

どんな状況を想定しているかというと…

  • 本を所有しているだけで満足する。
  • 本棚に並べて眺めるだけで満足する。
  • 読む機能は二の次となり、下手をすると読まないまま飾られ続ける本となる。

 

 

ここで問題です。

 

読まない本に情報はあるのでしょうか?

 

これは「誰もいない森で樹が倒れたら、その時、音はしただろうか?」という有名な哲学の問いかけのアレンジです。認識者の有無が現象の有無につながる、という考えです。

 

個人的な話になりますが、私は某「手が伸びる海賊が主人公の漫画」は同じものを2冊買っています。家族でボロボロになるまで読みつぶす本と、きれいに私の本棚で保管する本です。これを読むと「??金と場所の無駄!!」という人と、「とってもよくわかる!」という人とに二分されると思います。後者の方、同士です。仲良くしましょう。

それはさておき・・・

 

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保管用の本を眺めながら

「この本は、確かにきれいな状態で保存され、表紙も帯もきれいなままだが、ひょっとしたら中は何も印刷されていないのではないだろうか...?  というより逆に、印刷してある必要はないのではないか?」

なんて考えたりします。

 

この時の本の価値は、きれいな外見・装丁を以って「ここに存在していること」です。存在自体が価値なのです。中身に文字や絵などの情報を持つ必要性はありません。

 

でも…。

 

印刷されていない、白紙の本を果たして買うでしょうか?

 

オブジェならともかく、ちゃんと書籍として存在する本を買うのですから印刷された中身は絶対に必要です。それがあるから表紙があり、装丁があり、内容の伴った厚さと大きさがあるのです。

 

でも読まないのですから、情報は重要視されていない。情報の内容の価値は二の次になります。

 

とはいえ興味のない、もしくはレベルの低い情報しか持っていないのに装丁がきれいだからという理由だけで本を買うかというと、絶対そんなことはないので、やはり情報価値も重要です。

 

タマゴが先かニワトリが先か的な話になってしまいました。キリがないので一言でまとめます。

 

これは単なる所有欲ではなく、「知的かつ美的な情報所有欲」である・・・と自分に都合のいい定義とさせていただきます。

そしてその欲望を満たすことができるのが、紙の本の存在であり、存在自体が機能なのだと思っています。

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「そんなこと言いつつ、きれいにとっておいて、希少価値が出たところで高く売ろうと考えているのでは?」と思っている方。

世の中そんなにうまくいきません。

某漫画専門古本屋ではかなりの高額で売買されている古書は、ほんの一握りです。

私は本を「投機対象」と考えたことは一度もありません。

 

でも世の中には「限定品」という名の本もあったりします。

その価値、機能はなんでしょうか?

 

ということで、またしても話は続きます。

 

またの機会に「脳内を耕す」ことのできる記録媒体機能と「知的・美的情報所有欲を満たす」存在機能以外についても考えてみたいと思います。

 

春本番…いやもしかしてもう夏?

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桜前線も本州北部まで上り、420日のウェザーマップの予想だと4月中には北海道南部まで開花の予想となっています。

 

日中は汗ばむ陽気になることもありますね。

最近は春や秋が短くなったと感じている方も多いのでは。  地球温暖化による日本の亜熱帯化だとか

 

 

平成293月実施の内閣府消費動向調査では二人以上の世帯でエアコンの普及率は91.1%という数字が出ています。

しかし、それでも、夏が近づいてくると登場するのは扇風機。

その手軽さと即効性が重宝されているのだと思います。

 

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なぜ扇風機の風にあたると涼しいのでしょうか?

 

扇風機が涼しい風を送っているわけではないですよね。

送られた空気と、体表に温度差があると、空気の流れにより体表から熱が移動する(対流)、

あるいは体表に汗などの水分があれば、気化されることにより奪われる気化熱によって涼しく感じているってことでしょうか。

 

家電量販店でよく見かける通常の扇風機の機能は

 

電気エネルギーをモーターにより回転(運動)エネルギーに変換し、回転エネルギーを羽根に与え、羽根により周囲の空気を押し込み、空気に運動エネルギーを与える…。

D社の羽のない扇風機も周囲の空気を押し込んで空気に運動エネルギーを与えるという点では同じで、空気を押し込む手段がちがうだけなのでしょう。

 

機能的には単なる送風機というべきなのですが、「扇風機」と名がついたモノの目的は、体を風により冷やす、涼しく感じさせること。

そのために

  • 体の方向へ風向を変えやすいコンパクトな形
  • 送風の量を簡単に変えられるようなスイッチ
  • 風を満遍なく送れる首振り動作
  • 就寝時に体表を冷やし過ぎないOFFタイマー

などが与えられていますね。

 

単なる送風機がいろいろな機能と組み合わせることにより、「涼しくする」という目的により近くなる。

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実際に人が涼しく感じるかどうかは人間の五感をどう刺激するか次第、その五感に寄り添う形で色々な機能が合わさっているといえるのかもしれません。

 

ならば体表の空気の流れや気化熱と、涼しく感じる「脳」との繋がり、ここを紐解けばより高い機能を実現できるのかもしれませんね。

 

 

 

サッカーは機能で考えるスポーツ…?

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このブログのスタート時に「機能で考える」ということについてお話をさせてもらいましたが、その「機能」とは以下のような見方をすることに特徴があることを説明しました。

 

  1. 何のために(目的)、何をどうするのか(手段)を考えて、Input・Process・Outputを表現する
  2. 物理特性で表現(エネルギーとか、温度、圧力といったもの)

 

今回は1.の「何のために(目的)」について考えたいと思います。

 

 

 

私もいくつかのスポーツを楽しんでいるオヤジです。

サッカー、サーフィン、スノーボード、マウンテンバイク・・・。それぞれ長く続けていますが、歳とともに、目的・楽しみ方が変化してきました。

 

その中でもサッカーは学生の時分に取り組んできたものです。小学生の時は部活でサッカーをしていましたが、中学、高校は一旦離れ、そして大学に入学してあらためてサッカーを始めました。

 

大学での活動では中学、高校6年間サッカーをやってきた人が殆どで、彼らはその経験を通して基本的な戦略・戦術を持ってプレーをしていました。 

 

一方、私は小学校以来の本格的な活動であり、基本的な戦略・戦術を理解していたわけではなく、練習や試合ではピッチ内で動き回るのが精一杯で、ただ体力を消耗するだけでした。  今思い返しても1年生の夏、暑いピッチ上で苦しい思いをしていたことが鮮明によみがえってきます。

 

しかし、練習を重ね戦術を理解することで、私もチームの一員として「機能」するようになってきました。 そのとき学んだ戦術の主眼は「いかに多く得点して勝つか」。 攻撃の進め方が主だったのです。

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そんな私も3年生の時、チームの中心としてリーダーシップを発揮する役回りとなりました。  ところが、新チームが所属していたリーグ戦で全く勝てず、どん底状態になったのです。  その時、私はこれまで学んだ戦術「いかに多く得点して勝つか」を主眼にメンバーのポジションを決めていましたが、残念ながら失点が多く、結果として勝つことができなかったのです。

 

リーグ戦の終盤から、どうチームを変えていったらよいかチームメンバーと共に考え、失点しない守備をまず設定することにしました。「得点して勝つ」から「失点を防いで勝つ」ことを戦術の主眼にしたのです。

加えて、パス回しを早くすることで、攻守の切り替えを早くできるように練習を重ね、次節のリーグ戦では、よい成績を残すことができました。

 

 

改めて考えてみます。 勝つためにはどうすればよいのでしょうか?

 

「得点>失点」を実現することですよね。

 

大学生活の最初は私が組織の中でサッカーに取り組むことが小学校以来、久々であることもあり、とにかくチームのメンバーとして得点することに尽力していました。つまり「得点する」こと自体を目的に動き回っていました。

しかし、勝つためには「得点>失点」であり、得点することはそのための手段ともいえます。

 

3年生になったとき、私はチーム活動の責任の一角を担うようになり、勝つためには「得点>失点」であることを改めて認識し、「失点を防ぐ」ことも重要な目的として捉えたのです。

しかし、勝つためには「得点>失点」であり、失点を防ぐことも得点することと同様に勝つための手段ともいえます。

 

目的と手段のツリーで表現すると大体こうなると思います。

 

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ここで考えておかないといけない大事なことは、サッカーは11人のチームが攻守両方を行うことです。

 

同じ選手でも攻撃にまわったり、防御にまわったり。

もちろん、FWの選手は攻撃がメイン。キーパーは殆どが防御です。
しかし、FWの選手でも守りにまわりますし、キーパーの最初のキックは攻撃の始まりといえます。最下段のブロックは同じ選手が状況に応じて対応しないといけないのです。

 

このように、勝つという「目的」に対して攻撃と防御を切り替えつつ、11名の固定されたメンバーでゲームを進める必要があるのです。チームがもつ得点の機能を高めたり、防御の機能を高めたり、異なる機能を配分しながら戦わねばならないのです。

 

 

同じようなことがいろいろな製品のシステムでもいえると思います。

 

例えばタイヤ。車の乗り心地や、操舵安定性に大きな影響を与えています。
タイヤのスペックをリアルタイムで変えることはできませんが、車の求められる性格に応じて、乗り心地や、操舵安定性にどのように機能を配分していくか、これを考えることが必要です。

 

よく言われるのが「背反」という言葉。あちらを立てれば、こちらが立たず。タイヤでも乗り心地をよくしようと思ったら、操舵安全性は悪化するかもしれません。

しかし、機能を配分するという考え方に立ち、高いレベルで両立することもできると思っています。

目的とする機能を物理特性で表現し、物理の原理原則にのっとり紐解くことに取り組んでいく。

そこにポイントがあると思っています。

 

 

2018年ロシアで行われるサッカーワールドカップに向けて日本代表チームは頑張っていますね。チームが勝つための機能をフレキシブルに配分しながら「勝つ」という目的を果たし、予選を勝ち抜き、本選でも活躍してくれることを願ってやみません。

  

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本は消えない ~人類史上最強の記録媒体~

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こんにちは。機能エンジニアです。

これまで3回、みぢかを機能で考えるブログを配信してきました。

私が機能について語っている理由は、機能を考えることで物事の本質を理解する一助になると思っているからです。

ただ、どちらかというと「技術」に焦点をあてた内容だったと思います。

今回は、技術寄りの話から少々離れて考えてみたいと思います。

 

 

今、kindleで本を(漫画ですが・・・笑)読んでいるのですが、実に便利です。

まず本屋に行く手間がいらない。すぐ手に入る。

そして、手のひらの端末が本棚なので、次の巻を取りにいく手間がいらない!

なんて便利な時代なのでしょうか。

これになじんでしまうと、もはや本を買う必要もなければ、本屋に行く必要もなく、本棚もいらない。

・・・となるはずですが、実際には本は買っているし、本屋にも行くし、家には本棚がある。

そしてこれからも変わらないでしょう。

 

なぜでしょうか?

 

このブログでは、本への愛情や魅力、ましてや書店愛を語るつもりはありません。そのような内容は、もっと文才のある人が美しくも感動的な文章で上手に表現してくれているはずです。

 

ここでは今までの流れと同じように、冷静かつ客観的に、「本」というものの機能を考えてみます。

 

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さて、本は何のためにあるのでしょう?

 

情報を、後世に残すため、誰かに伝えるため、不特定多数に広めるため。

そのために、情報を文字という記号に置き換え、紙という媒体に記録する。それが本です。要するに「記録媒体」です。

 

これだけの機能であれば、本という存在は、デジタル化の進行とともに間違いなく消えると私は思っています。

 

それでも消えないのは、「伝える」という目的があるからだと考えています。

 

伝えるには、その方法が容易であることが重要なことの一つだと思います。

 

電子書籍は、端末とソフトとそして電気エネルギーがあって初めてその情報が伝えるべき人間の前に現れます。

でも本は開くだけです。

この差は非常に大きい。

電気がなくなった世界では、端末という道具は働かず、情報を再生することはできないのです。本には道具は要りません。

 

また「伝える」には、伝える対象の人が「理解する」ことも重要だと思います。

文字情報が目の前にあるだけでは意味がなく、目を通して脳に伝わり、脳がその文字情報を文脈として脳内で変換し理解して初めて意味をなすのです。

 

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本を読む行為でもエネルギーを使うといいます。一説によると75分間の読書で100キロカロリーとか。

 

しかし、同じエネルギーを費やすとしても、その本のありようによって伝わり方は違いますよね。

文章を読み理解していくことは、読み手の論理的な思考が必要であることは間違いありません。

一方で、文章の行間・段落を適切に設定することで読みやすい体裁を保つ、ページ構成デザインに工夫を凝らす、そして表紙等の装丁を行うことにより、読み手の視覚的印象は随分異なります。

 

読み手の左脳と右脳が共に刺激される…そういう状態になれば本の機能はより高いものになっているのではないかと思っています。

 

 

そういう機能を私は「脳内を耕す」機能と呼びたいと思います。

 

では電子書籍に「脳内を耕す」機能は無いか?と聞かれれば答えは「有る」になります。

電子書籍化する際にカラー化された漫画もたくさんあります。これは非常に読みやすいし美しい。でも紙の本にはそれ以上に「脳内を耕す」機能に繋がる要素がたくさんあると思っています。

 

例えば

 

  • 紙の香り
  • ページをめくる触感
  • 本の重量感
  • 読み進むうちに、ページが進み、進捗が目に見える。
  • 装丁の美しさ
  • 新刊にのみ付属する帯のデザイン
  • 本棚に並べた時の統一感と壮観さ
  • カラー印刷の発色の美しさ
  • 大判の本の迫力

などなど

 

これらは電子書籍でも再現できるかもしれませんが、紙の本にはかなわないと思っています。

人の五感に訴える感性的なものですが、すべて「脳内を耕す」上で重要な役割を担っていると私は考えています。

 

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・・・といろいろ書いてきて、ふと思ったのですが・・・

確かに装丁がきれいであることは、読むモチベーションを高めて「脳内を耕す」かもしれません。

でも、とてつもなくきれいだとしたら?

怖くて読めない…というか、さわれないのでは?

並べて美しいものは本棚から取れないのでは?

 

そういう本を買う一番の理由は、

「所有欲」

といえるのかもしれません。

 

記録媒体としての機能以外にも、本の機能は何かありそうです。

続きは、また後日。